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更新日 2018-07-27 | 作成日 2018-07-27

先行研究から学ぶ

幼児画の読みとり心得

一、おもしろいなぁと思わぬ限り、変な絵です。

二、驚きの心のない限り、つまらないものです。

三、下手だなぁと見る限り、とても稚拙なものです。

四、人間ってすばらしいなぁと思わぬ限り、いたずらにしか見えません。

五、子どもの声をきこうとしない限り、絵からのメッセージはわかりません。

林 健造

創造訓練 


描画は子ども時代の、またとない創造訓練の場である。自発的表現を待たない「指導」は創造の芽を殺してしまう。




中学生の段階になるとやや違ってきます。造形形式について「教える」ことが可能です。
 ただ誤解をしてはいけないことは、この場合も、知的な教科とはっきり区別しなくてはならないことです。つまり「教える」とは、「そう描かなくてはならない」、「そう描くのが正しい」という意味でなく、「こういう描き方もある」、「勉強のためにひとつこの描き方で描いてみよう」という意味で教えなくてはならないということです。
 さまざまな描きかたがあるのです。人間は本来、どの描きかたを選んでもいのです。それらの描きかた、造形形式自体は相互の間に、価値の差はないのです。
 ここで鑑賞教材の使い方が意味を持ってきます。


鬼丸吉弘
「創造的人間形成のために」

専門外の先生

「子どもを尊重してやる気持ちがあり、子どもに対する理解ある愛情をもち、それがどういうことかが、よくわかっている人なら、専門外の先生でも、優秀な美術教師としての本質的な資格が十分ある。」

リチャードソン「美術教育の名言」黎明書房


子どもの表現形式


「子ども表現形式は、子ども自身の考えと経験に根ざしている。大人の干渉は子どもを混乱させるだけだ。」

ローウェンフェルド
「美術による人間形成」黎明書房

子どもの早熟

「子どもの早熟は激励されるべきはない。お母さんにとっての彼女の7歳の子どが近所の10歳の子どもと同じ作品を描いたからといって、すこしもほこりにはならない。」

チィゼック
「チィゼックの美術教育論」黎明書房

熟練

「表現を手際よく巧みにする熟練は、創造力と取りかえっこする代償物として、なんと貧弱なものであろう。」

チィゼック
「芸術家としての子供達」美術出版社

権威と虚飾

「子供が創造する環境に、先生の権威と大人の虚飾が少しでもあってはなりません。」

宮脇公美「絵あそび つくりあそび」新書館

大人の関わり方

「世間ではよく子供に画を教えるという。教えてはいけない。引き出すべきものでる。子供は子供自身の発達の必然性である、現段階の感覚で形式をつくるのであり、そのことをおとなは、ただ間接的に援助しうるにすぎぬ。そして正しい援助だけがその結果として、子供の内にある真の創造力を結実させることができるのである。」

鬼丸吉弘
「児童画のロゴス」勁草書房

幼児期

「学校に入るまでに、絵を描くという体験をどんなふうにどれだけさせたかによって、子どもの能力、感性、個性に大きな差ができ、その差は一生ついてまわるものだ。」

スーザン=ストライカー「さわってごらん」日本実業出版

大人の概念

「大人の概念から来た正確さを強いることは、幼児に必要な、夢や空想を枯渇さす。」

宮武辰夫「幼児の絵は生活している」文化書房博文社

過干渉

「お母さんの多くが、子どもの描画活動(試行錯誤・探索活動)に対して、あまりにも過干渉だということです。
 過干渉とはどういうことか?
 それは子どもの「自分の力で行動する力、自分の感覚で感じとる力、自分の頭で考える力」の芽を摘み取っていることになるのです。」

鳥居昭美
「子どもの絵の見方、育て方」

知識を生み出す種子

 わたしは、子どもにとっても、どのようにして子どもを教育すべきか頭をなやませている親にとっても、「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています。子どもたちがであう事実のひとつひとつが、やがて知識や知恵を生み出す種子だとしたら、様々な情緒やゆたかな感受性は、この種子をはぐくむ肥沃な土壌です。
 幼い子ども時代は、この土壌を耕すときです。美しいものを美しいと感じる感覚、新しいものや未知なものにふれたときの感激、思いやり、憐れみ、驚嘆や愛情などのさまざまな形の感情がひとたびよびさまされると、次はその対象となるものについてもっとよく知りたいと思うようになります。そのようにして見つけ出した知識は、しっかりと身につきます。

レイチェル=カーソン(海洋研究家)
「センス・オブ・ワンダー」