「講演会」・大会2日目
7月29日(火) 午前11時00分より
会場 夢プラザ
講師 大橋 功 氏
略歴
1981年 京都教育大学を卒業,同年4月大阪市立中学校「美術科」教諭
1994年 佛教大学教育学部 講師 97年同助教授
2003年 NPO法人学習開発研究所を西之園晴夫らと設立
2007年 東京未来大学「芸術と人間、幼児造形、造形表現法」を担当
所属・活動
東東京未来大学 こども心理学部 こども心理学科
学習開発研究所 副代表
日本美術教育学会 事務局長
幼稚園の教育を支援(造形活動について)
kids Art Labo
千里敬愛幼稚園
おおはしわあるどブログ
大橋 功さんからのメッセージ
「絵を描くのが苦手」と言う子がいます。「ものをつくるのがめんどうくさい」なんて言う子もいます。幼い頃、あんなに夢中になってパスを握りしめ、拙いながらも懸命にハサミ使っていた子はどこへ行ったのでしょう?誰だって大好きだったはずなのに…
「うちの子は絵が下手だから…」と言うお母さんがいます。「ぞうさんはもっと大きかったでしょ?」と大きく描くことを促す先生がいます。「自由に伸び伸びと育って欲しい」などと言いながら、大人が子どもを使って、自分のイメージを表現させようとしています。作品からは先生のイメージや描いて欲しかった絵というものが伝わってきます。でも、子どもの想いや願いはどこへ行ったのでしょう?
絵を通して子どもの話に真剣に耳を傾けるお母さんがいます。描きたい、造りたい、伝えたい、そんな子どもたちの「○○たい!」を引き出す工夫がされた楽しい授業をする先生がいます。身近な自然や人や物事から、驚きや感動を受け止めながら、毎日わくわくしながら育つ子どもが帰ってきました。
ある中学校で先生が「人はどうして絵を描いたりものをつくったりするのだろう?」と生徒に問いました。すると、ある生徒が応えました。「自由になるためさ!」こんなところに私たちの師匠がいました。
そう、教師という仕事をする私たちにとっての最大の師匠は、目の前の子どもたちなのですね。
北海道、石狩のみなさんと出会える日が今からとても楽しみです。
それと、今、1997年、平成9年の日本美術教育学会誌「美術教育」第275号の巻頭言に自分が書いたものをみつけて読み返しました。前回の学習指導要領改訂時に書いたものです。ベースは、ネイティブアメリカンのスカミシュ族シアトル酋長が合衆国政府から自分たちの土地を奪われ、居留地に移るように言われたときに書いた手紙に感化されて書いたものです。
よけいな話ですが、私は、佛教大学時代にこの手紙で美術の授業をしました。この手紙を読んで見えてきたもの、感じたこと、そして伝えたいことをどんな方法でもいいから、目に見えるものにしてみよう。と…
美しいアメリカの大地に共生する生き物たちの楽園を描いた学生、恐ろしさを強調するような色彩で白人たちが、列車から笑いながらバッファローや、野生の馬、そしてネイティブアメリカンを撃ち殺している絵を描いた学生、マンハッタンの写真を画面に貼り、その下に押しつぶされそうなネイティブアメリカンの羽根飾りを描いた学生など様々でした。
よけいついでに長くなりますが
その原典は以下です。
『父は空 母は大地』(パロル舎 1995)寮美千子/編・訳、篠崎正喜/画
はるかな空は 涙をぬぐい
きょうは 美しく晴れた。
あしたは 雲が空をおおうだろう。
けれど わたしの言葉は 星のように変わらない。
ワシントンの大首長が 土地を買いたいといってきた。
どうしたら 空が買えるというのだろう?
そして 大地を。
わたしには わからない。
風の匂いや 水のきらめきを
あなたはいったい どうやって買おうというのだろう?
すべて この地上にあるものは
わたしたちにとって 神聖なもの。
松の葉の いっぽん いっぽん
岸辺の砂の ひとつぶ ひとつぶ
深い森を満たす霧や
草原になびく草の葉
葉かげで羽音をたてる 虫の一匹一匹にいたるまで
すべては
わたしたちの遠い記憶のなかで
神聖に輝くもの。
わたしの体に 血がめぐるように
木々のなかを 樹液が流れている。
わたしは この大地の一部で
大地は わたし自身なのだ。
香りたつ花は わたしたちの姉妹。
熊や 鹿や 大鷲は わたしたちの兄弟。
岩山のけわしさも
草原のみずみずしさも
小馬の体のぬくもりも
すべて おなじひとつの家族のもの。
川を流れるまぶしい水は
ただの水ではない。
それは 祖父の そのまた祖父たちの血。
小川のせせらぎは 祖母の そのまた祖母たちの声。
湖の水面にゆれる ほのかな影は
わたしたちの 遠い思い出を語る。
川は わたしたちの兄弟。
渇きをいやし
カヌーを運び
子どもたちに 惜しげもなく食べ物をあたえる。
新学習指導要領
これは、美術教育の火を消さないための指針である
大橋 功
「美育文化」(2008年3月号)
今回の改訂では、小中一貫して「内容」で「次の事項を指導する。」と表記されている。かつて、指導と評価の一体化をめざしたカリキュラムモデルをデザインしようとしたとき、小学校の先生たちから「図画工作科の具体的な指導事項がわかりにくい」と聞かされた覚えがある。
今回、「内容」の各項目で重複していた事柄などが整理され、「共通事項」にまとめて示され、材料用具や特定の題材などが「内容の取り扱い」に移動されたことで、「指導事項」がより明確に示されるようになったと見て良いだろう。
また、中学校では、「内容」の(1)(2)で、それぞれに示されていた「表現の技能に関する項目」が、(3)として独立して示されるようになった。このように「発想や構想に関する項目」と「表現の技能に関する項目」が、それぞれ独立して示されたのは、小学校「図画工作」との連携、とりわけ「造形遊び」や「楽しい造形活動」からの連続性を視野に入れたものだと読み取れる。
小学校では、「表現」の学習活動を、造形遊びや楽しい造形遊びなど、材料や行為を楽しむ活動と、従来の表現領域を、想像の世界で遊んだり、伝え合ったりすることを楽しむ活動にまとめ、興味や関心の喚起、主体的に取り組む態度の育成や基礎的技能の獲得を前者に担わせ、新学力観型の生きる力を育てる学習の具現をめざした。
その目玉であった造形遊びや楽しい造形活動の教育的意義が明確になっていくに従い、こうした学習活動の意義の理解が広がり、材料からの発想として、高学年にまで展開されるようになった。そして、今回は中学校までが見通されるようになったのである。そしてその要点は、それぞれの学年段階や、「表現」「鑑賞」の領域間などを越えて、学習の基底に据えるべき「共通事項」として示されたのである。
たとえば小学校第1学年及び第2学年の「ア自分の感覚や活動を通して、形や色などをとらえること。」と「イ形や色などを基に、自分のイメージをもつこと。」の二項を見ればわかるように、「自分の感覚や活動」を横軸の左端に、「自分のイメージをもつこと」を右端に置くと、左端に造形遊びなど「材料や行為を楽しむ活動」が、右端に「想像の世界で遊んだり、伝え合ったりすることを楽しむ活動」が位置づき、左端と右端の間を、行きつ戻りつしながら、形や色をとらえ、それらを活かす力を発揮しながら自己表現する能力が獲得されていくという学習過程が縦軸に構想される。
「表現」と「鑑賞」の領域を越えて通底するする美術教育の基本的事項をこの「共通事項」が示していることも見逃せない。そこを正しく理解し、大いに充実された鑑賞学習の内容や手だてを実践にいかしていくようにしたい。
今回、教科構造や指導事項や手だて、そして小・中の連続性など、よく整理され、明快に示されたことにより、誤りの無い美術教育の実践が展開され、教育における美術の重要性が実証されていくことが期待されているように感じる。それこそが、次期改訂において、美術教育の火を消ささないための唯一の道筋であると肝に銘じたい。