描く心、つくる心
ブラック
感動は芽で、作品が開花である。
風間 完
絵を描くという行為は紙の上に今まで地球上に存在しなかった何ごとかが出来上がっていくということです。
ゴッホ
僕は、眼の前にあるものを正確に現そうとする代わりに、激しく自分を表現するために、色をもっと気ままに使うのだ。
『ゴッホ 自画像の告白』(書簡520)二玄社 1999年
棟方志功
版画とは板の命を彫り起こすこと。つくるものではなく、生まれてくるもの。
美の巨人たち(テレビ番組ホームページ)
岸田 劉生
美術品というものが造られて、この世界に存在しているということは、人間の「精神」によって肯定された「形」「美」がこの世界に一つ存在しているということである。画家が深く美を見た時の心持ちは、まったく肯定である。「よし」と思うことである。「これだ」と思うことである。
安野光雅
石膏デッサンが、対象を写実的にとられて表現し、世界に通じる言葉を身につけるための勉強だとすると、必ずしも写実的に描けない自己流の表現は、方言にあたります。方言ですから第三者に通じないこともあります。けれども自分の思っていることを、素直に表すことができるのは方言のほうです。方言は勉強したこともないのに、いつのまにか体にしみこんでいるものです。
この描く理由というのが、絵を描く者には大きいエネルギー、そして意欲になっています。ですから、それがないと描けません。そもそも、絵を描く方法は教えられないものだ、と思ったほうがいいです。だから「基礎」というものは考えにくい。
「絵のある人生 ー見る楽しみ、描く喜びー」安野光雅(岩波新書 2003年)
ブラック
芸術には価値あるものは一つしかない。説明できないものがそれだ。
「日本の美術館で見られる近代名画の鑑賞入門」主婦と生活社
ピカソ
絵というものは考え抜かれた結果として描かれたものでもなければ、あらかじめ決められた通りに描かれたものでもない。描かれている途中で、人の考えが変わるように変わってしまうものだ。絵には生き物みたいに、人生があって、私たちの日々のように変化も経験する。
教科書(高等学校)「美術・その精神と表現3」現代美術社 昭和64年
ディック=ブルーナー
シンプルであるというのは私の一部です。私は、常にシンプルに物を考え、仕事をしたいと考えています。しかし、それはかえって難しいんです。例えば、動物をかく時、まず動物園などにいって、実際の動物を自然な形でスケッチします。それをもとに、この動物の一番大切な特徴は何だろうかと考えながら、むだなものを削っていくのです。そうすることで完ぺきな形を見いだそうとします。そして、シンプルであるということが、子供達の創造力や夢を育てると考えています。
朝日新聞1987・5・9
ヘンリー=ムーア
人体はわたしにもっとも深い関心をもっているが、小石、岩、骨、樹、植物などの自然のオブジェからフォルムとリズムの原則を発見した。
ブランクーシ
美は、絶対的なバランスである。
マリノ マリーニ
形体を単純化するのは自然から遠のくように見えるが、実は自然に立ち戻ることなのだ。
オノ=ヨーコ
芸術というのは、そんなに難しいものではなくて、人が生きていく上で必要な何かなのです。音楽家や画家には恥ずかしがり屋の人が多くて、実生活のうえでは自己表現がうまくできない。でも、創作の世界では自由になれて、自己を表現できる。だから自分にふさわしい自己表現のやり方をつくっていくのですね。これは芸術家にとってても重要なことですよ。わたしは高校生のときには、もう作品をつくっていました。それに詩をよく書いていました。その後、自分でなければできないこと、どのように自分をつくっていくかを考えてきました。今はインターネットで世界中の人とコミュニケーションできる時代です。画廊だけが作品発表の場ではないし、例えば名刺大の大きさの紙に絵を描いて、会う人ごとにどんどん渡していくなど、固定観念を待たずに自由な発想で表現活動を展開できる時代です。人間は一人一人みな違う。けれども、共通する点はある。だからコミュニケーションができるわけでしょう。だれもが、他の人と違う何かを持っているの。それを、はっきりと認めることが大切です。後ろ向きにならないで、自分にしかできない何かをつくってください。あなたの人生に自信を持ってください。そしてあなたが非常に独特であるということを意識してください。
抽象美術はわからない?
ブランクーシ
あなたが魚を眺めるとき、あなたはそのウロコに注意はしない。そうではないでしょうか。あなたは水面下のその動き、その遊泳、その肉体のきらめきを考える…そうです。私が表現したいと思うのはこれなのです。もし私がそのヒレ、目玉、ウロコを再現するとすれば、私は動きを殺してしまい、現実のパターン、あるいはその外観を得たことにしかなりません。私がとらえたいのはその精神のきらめきなのです。
「モダン・マスターズ・シリーズ コンスタンチン・ブランクーシ」
エリック・シェインズ著 中原祐介・水沢勉訳 発行:美術出版社1991
新宮 晋
私は、地球の呼吸ともいえる風や、血液ともいえる水のダイナミックで微妙なリズムを、できるだけ素直にとらえて動きで表そうとしてきた。それは作品をつくることを通して新しい自然の原理を発見する、心躍る仕事だった。
ミロ
わたしがキャンヴァスに描き写すさまざまなしるしは、まさにその瞬間にはわたしの心の具体的な表れであって、実在以外の何物でもなく、本質的に現実の世界に属するものなのに、そんなことはまるで理解できないらしい。
『抽象美術入門』フランク・ウイットフォード 美術出版社1991 p44
モンドリアン
それぞれの芸術には固有の表現方法があるとしても、それらはすべて不断の心の修練の結果であり、均衡を得た関係をより高度な厳密さで表現しようとして止まない。均衡を得た関係は心に本来備わった普遍性、調和、統合性の最も純粋な表現である。
クレー
ぼくは、描くものの奥深くにひめられた、秘密にせまりたいんだ。そのハートにふれたいんだ。
芸術の仕事は、目に見えるものを、そっくりにかくことじゃなくて、目に見えないものに、形をあたえることなんだ。
目に見えないものを、見ようと努力してはじめて、ものの奥深くにかくされた、大切なものが、見えてくるんだ。
はじめてあう絵画の本14「クレー」アーネスト・ラボフ・あすなろ書房
カンディンスキー
スケッチから物思いにふけりながら帰ってきて、アトリエのドアを開けた途端、わたしは突然、いうにいわれぬ、光り輝くような美しい一枚の絵を目の前に見た。
わたしはうろたえて足をとめ、それを凝視した。その絵はまったく主題を欠いており、なにかわけのわからぬ対象を描いていて、全体が明るい色調の斑点でできていた。
やがてもっと近寄ってみて、ようやくその絵が何であるかがわかった。…画架に横倒しに立ててあるわたし自身の絵だったのだ。…ひとつのことがわたしには明瞭になった。
…つまり客観とか対象の描写というものは、わたしの絵には必用ではない。実際害になるばかりであった。
嶋田厚「デザインの哲学」講談社学術文庫p113
生活と美術
小池 岩太郎
デザインは愛の表れです。自分への愛、誰かへの愛、もっと多くの人々への愛。そういう愛の心が根にないと、どんな立派そうなものでも、ひからびた物体にしかすぎなくなります。
小池 岩太郎「新版デザインの話」美術出版社
末永 蒼生
色彩について認識が深まると、暮らしのありとあらゆるシーンで色たちが語りかけてくることに気づかされます。それぞれの色の特質を生かして、衣食住をもっともっと自分らしい心豊かなものにクリエイトしていきましょう
末永蒼生「色彩楽」日本ヴォーグ社p57
ケルト=ネフ
おもちゃは色々な使い方ができ、形が美しくなければなりません。子どもは、おもちゃにより、形の感覚を学びます。その経験は、子どもの人生に大きな影響を与えるかもしれないのです。
モホリ ナギ
デザインは社会に対する姿勢・態度である
グロピウス
自然の有機的な造形は、あらゆる人工的造形の永遠の典型である
サリバン
形態は機能にしたがう。Form Follows Function.
この言葉は進化論の先駆者ラマルクの言葉。これをL,H,サリバンは建築デザインの基本原理としてとりあげた。彼は、アメリカ大規模建築様式を確立した。この言葉は機能主義デザインの基本原理である。
「デザインの読み方」別冊宝島 jicc(ジック)出版局鑑賞について
米坂 ヒデノリ
直感や感動が芸術家になるための大きな条件であって、知識や技術が先行するものではない。鑑賞もまた一つの創造行為であるとすれば、鑑賞者は虚心になって作品に接するべきで、作家にまつわるエピソードや作品解説のたぐいは後回しにした方がいい。芸術家は、己の作品が数少ない真の理解者にめぐり会えることが何よりうれしいものなのだ
「北海道新聞」昭和51年10月3日
中山 公男
絵の前に立ってみよう。絵はかならず何かを語りかけてくれる。じっくりとみているうちに画家の目と心に近づき、そこに新しい世界を発見するだろう。
坂崎 乙郎
絵とは、思想である。思想とは、肉体のことである。だから、絵を理解する根本は、知識ではなく、ゴッホの持っていたような愛情なのだ。愛情がなければ、なにも、わからない。
斉藤 喜博
(自然が人間を豊かにしたり励ましたり謙虚にするように)優れた芸術作品もまたそういう力をもっている。だから自然とか、優れた芸術作品にふれることをしないと、人間はなまいきになったり貧しくなったりしてしまうのである。生き生きとした新鮮な人間でなくなってしまうのである。
日本の美術について
北條 明直
伝統工芸の第一の特色は、その原材料が自然素材だということである。長い生成発展の歴史を経てきた自然材は、きたえぬかれた特性を堅持している。伝統工芸は、そうした自然材の特性を誘導して、器物の構造や機能、さらには意匠までにわたって、これを顕在させるのである。第二の特色は、すべて手づくりということである。自然材を扱う熟練した人たちの手さばきは鮮やかで、手慣れた、それでむらのない仕事のあとを残す。全行程において、一つでも手を抜かない。
手づくりの品は、誠実な仕事を貫き通した人格が反映している。しかもそれは、つくる側と使う側の気持ちが一致した社会的産物として、生命の継承にも似た尊厳性をもって、受け継がれきた。
北村 西望
世界国家というか、そういうのができて、全体をまるく治めればよかろうが、現実がそうなっていない以上、平和を叫び、また平和を祈り念じる必要があるのだ。
であれば、原爆被災の地、長崎は、こういう平和を祈り念じるべく特に権利と義務とがある。私はそう信じ、そう信じたからこそ、これを平和祈念像とした